第三回コメント(緑色の部分が斉藤のコメントです)

  • この授業でとりあげるものはどれも自分の住んでいる世界とはかけはなれているようで、実際にはあることなので、いつもとても衝撃的です。今回も女の人によるあのような活動(ウーマンリブ運動)があることは知りもしなかったので、大変驚きました
  • 中学、高校までのうちに社会科や歴史で習ってしかるべき内容だとわたしは思うんですが、なかなか取り上げられていないようで残念に思っています。
  • 女を聖母と娼婦に分けると聞いて一番思うのは、キリスト教である。聖母マリアと娼婦マグダラという意識があるので、なお世界的宗教のキリスト教のせいでこの構図ができあがったのではないか。
  • 聖母/娼婦は、おっしゃる通りでキリスト教の影響も大きかろうとおもいます。
  • 僕はこの講義を受ける前はほとんどウーマンリブ運動について関心がなかったのですが、考え方は僕は好きだと思いました。特に「男たちに」(中山潔子)という詩はとても共感し、納得できるものがありました。現代でもジェンダーの問題はなくなっていませんが、当時の人たちの運動によっていまの社会の考え方が出来上がっていると聞いて尊敬しました。
  • DVや痴漢が問題とされなかった時代があったなんて、信じられない。昔と違って今では女への考え方が全然違うと思った。
  • ウーマンリブ女性差別などのことは、聞いたこともなかったし、考えたこともありませんでした。けれど、この講義でそのことを学んでいくうちに、女性はとても理不尽な差別や矛盾を体験しているんだとわかりました。特に、女性を「便所」などと読んだことに対しては、とても失礼なことだと思いました。
  • 昔は子どもも多く、子どもは喜ばしいことだと思われていたと思っていたのですが、デパートにベビーカー禁止などといった「子どもを産んでスミマセン」という記事に驚きました。少子化が問題になっている今日の日本ですが、トイレにはベビーベッドがあったりサービスが多くあります。わたしはそれが普通のことだと思っていましたが、昔から思うとありがたいことなのだと思いました。
  • 男性と女性の関係はすごくめんどくさいとか、男のことばっかりで悩んでいて疲れることがある。なぜだろうか。別に彼氏なんていなくても生きてゆけるのに、いないとさみしい感じがする。彼氏がいても、なんでわたしが料理したり、洗濯したりしなければならないのかと腹がたつときがある。今日は共感することが多かった。
  • 男なんかより女の人のほうがよっぽど強いと思う。自分は女性を二分する(娼婦と聖母)ような考え方をしたくないし、しないつもりでいる。
  • 学校の保健体育では男女いっしょに性教育を学びます。この運動を一つの歴史としてとらえるのではなく、現代も考えなければならない大きな課題です。自分は保健体育の教員を目指しているので、この分野について考えなくてはいけないと感じました。
  • わたしはこんなにも女性の立場などについて考え行動した時代があったなんて全く知りませんでした。もちろん「ウーマンリブ」という単語も聞いたことがありませんでした。ふだん何も気にせずに過ごしている中、やはりいろんなことがあり、真剣にかんがえなければいけないというところに自分がこの授業で気づかされてきているのではないかと思いました。女性が100人いれば100通りの女性としての悩みがあり、多くの問題があるんだなと思いました。一番心に残っていることばに「家に帰ると女性というものについての悩みばかり考える」というものです。わたしは、まだ19才の女の子どもですが、それでもそれなりにこの言葉に共感を持つことができました。そこから、男と女というような関係、立場などは人間にとっては必要不可欠なものとしてプログラミングされているのかなと複雑に思いました。
  • 今日のビデオの意味がよくわかりませんでした。過去にああいう運動があり、その根元である問題が今でもあるということを言いたかったのでしょうか?
  • そうですね。それも一つです。また、70年代が今の社会とどのように違っているか、今はどう変わっているか、ということも気づいてもらいたいと思ってました。変わったことに運動は影響を与えているかいないかについても考えてもらいたいと思っていました。
  • 今日、「便所」という単語がどんな意味か知って驚いた。女を聖母/娼婦(便所)にわけるのに腹がたった。自分達は分けられるほど立派なのかと言ってやりたい。ウーマンリブの人たちは、当時女差別が大きい時に運動を起こしてすごい、と思った。
  • 日本の女性がこんな過激な運動に参加しているとは思ってもいなかった。実際の映像でみれたので、すごくリアルだった。それほど女性に対する社会の扱いがひどかったのだと思いました。
  • 授業中に「女ども」と呼ばれていたと知ったときは、少なからず衝撃を覚えた。また、こうやって自分よりも下位の状態の人々を作らなければならない人間を残念に思う。
  • 「浮気は男の甲斐性」「家事は女がやること」こんな言葉が家の中から聞こえてくるのは、本当に悲しいことです。わたしはどんな風な女性になっていくのだろう。女にとっての辛い結婚生活をみてきているわたしがちゃんと結婚なんてできるのだろうか。今でも考え込むと並みだがでてくることがあります。ウーマンリブの活動は確かに成果があったのだと思います。でも、まだ男尊女卑の考えが男の人の中にはあるような気がしてなりません。思うに、女の手で過保護に育てられてきた男の人は、「女は家の中のことはなんでもしてくれる存在である」と無意識にたたき込まれているような気がします。それは違うのだと言いたいです。女の人が男の人を選ぶ基準に、「家庭的である」とうことも加わればよいのになあと思います。女と男という以前に人間としてどうなのか、ということを考えさせられるからです。わたしと同じ思いの人がいればよいなと思っています。
  • 上の意見に対して、辛い結婚生活をみている人の方がよく考えてパートナーを選ぶのではないかと思いました。みんなどう思いますか? どの意見に対してでもいいですが、議論を深めるコメントをつけてもらえたらと思います。よろしくお願いします。