授業へのコメント

この日のコメントについては、次の回に授業の中で紹介しました。ここではいくつかだけ紹介しておきます。

  • CMに出ていた人の性別なんて、いままで注目したことはありませんでした。でも、改めて注目してみるとジェンダーととても関係があるのだなあと思いました。メディアほど自然に人の中に入っていくものはないと思います。これから注目していこうと思いました。メディアってすごい!!
  • 毎日、特に意識することなく目や耳に触れているCMにも女性像や男性像が反映されていることを改めて感じました。しかも、その女性像や男性像が時代によって変化していることはおもしろいと思いました。CMのような身近なものにこそ、その時代の人々が持っている感覚が表れやすいんだと気づかされました。また、エビちゃん人気など、メディアから人々に与える影響の大きさは少し怖いと思います。メディアが取り上げるせいで世の中にエビちゃんスタイルの女性が増えると言うことは、皆が同じような女性像を求めることになり、それぞれが持っているはずの個性、女性像が乞わされ、無意識のうちに一つのものに固定されてしまう気がするからです。極論かもしれないけど、モテかわいいばかりがよくて、カッコよい、ボーイッシュな女性像が否定されるようなことにつながる可能性もあると思います。それに対して、最近は、つくす妻から趣味に生きる妻や、育児をする夫などといった変化が見られることはすごくよいことだと思います。われわれの女性・男性像に対する感覚が変化し、それらが反映されていることはもちろんだけど、そのようなCMがわれわれの感覚を変化させる部分もあると思います。もっと新しい感覚のCMが増えていってほしいです。
  • 洗剤(ボールド)のCMは男性だけの出演ですが、このことをジェンダーの視点からどう見ますか?

これについては、授業でも少し紹介しましたが、http://kimamatsum.exblog.jp/4925598:ボールドをめぐるさまざまな言説でネット上でみられるさまざまな解釈が紹介されていますのでみてみるのもいいでしょう。メディアCMのジェンダー表現も見る人によってさまざまに解釈されるということがわかります(斉藤)。

  • 今回のジェンダーの講義を受けてみて、テレビのCMは、男性や女性の性別役割分業によってどんどん変わっていっているとかしれて勉強になった。また、CMが性別役割分業によって変化しているということから「なりたい自分」というものを形成するのにCMは大きな影響を与えているのだと思った。
  • 僕は福井県武生市の出身なので、シピィ(スーパーマーケット)をよく知っているのですが、シピィのよさをが十二分に出ていたのであのようなCMをみたら家族揃ってシピィに行きたくなるのではないかと思いました。
  • エビちゃん人気」はカッコかわいいからモテかわいいへと女性の理想が代わり、エビちゃんのようなお嬢さん的かわいさというかキレイな女性を目指す人が増えたからだと思いました。

格差社会になっている現在、エビちゃんのような「お嬢さんかわいい」に惹かれるのは、「お嬢さんかわいい=より上の階層へのあこがれ」が強まっていることの表れではないでしょうか。「ジェンダー」がジェンダーだけで存在するのではなく、階層とも不可分につながったものであることが見て取れます(斉藤)。

  • 民間放送での男女従業員の割合でいっても女性の割合が低い。女性差別が表面的にもみてとれると思います。男女雇用機会均等法がきちんと施行されているのだろうかと思ってします。性別問題というのは難し過ぎる気がしました。
  • エビ売れ」という言葉が使われるほど現在のエビちゃん人気はとどまるところを知らない。エビちゃんが関連した商品は100%売れるというジンクスが企業の間にあるようである。昔のアイドルのように、男の人にのみウケるのではなく、女性の圧倒的な支持がエビちゃん人気を支えている。私もエビちゃんは大好き。モデルさんの中でも親しみやすい雰囲気があるから、見ていて癒されるし、元気が出てくる。
  • 武生の企業CMでは、タイヤ館のCMがよかったと思います。「○○は、おまかせください」という一貫したセリフと従業員の方の笑顔がさわやかな印象を与えていると思います。
  • 今日の授業を受ける前もそうだけど、受けた後も、メディアとジェンダーに深い関係があるとは感じ取れませんでした。確かに資料の数字をみると男女で差があるというか変化はわかりましたが、CMだけみているとそれほど男女の違いなどはわかりませんでした。
  • CMをつくるのにそこまでジェンダーにこだわらなくてもいいのではないかと思う。シピィのはとても不自然な気がした。
  • 私にはどの時代のCMも今流されていても違和感を覚えないくらい普通であり、時代ごとのジェンダーの変化というのを感じることができなかった。