学生コメント

  • 先生、「エビゆり」じゃなくて「えびはらゆり」ですよ! よく「えびゆり」と連発されるんで〜。

ごめん。今日、間違えて連呼していたみたいですね(斉藤)

  • 新聞を読んでみて、女性が政治に関わることが「不自然だ」という気持ちにならざるをえなかった。やはり、これまで男性が関わってきたことに女性も関わるようになると騒ぎ立てられるのはしたかないことになるのかなと思った。日本語の中に男性中心性があると聞き、確かにそうだなと思った。これまで何も思わずに読んできた新聞だったが、「氏」と「さん」「人」と「女」など大きな違いがあるんだなと思った。
  • 「釈放者」の記事(男を中心とし、女に徴付けする表記法)にはなるほど本当だと思いました。どうして男性と書いてないんだろうと思いました。でも言われなければ絶対気づかないと思います。それだけに御語に男性中心が浸透しているのかとも思いますが、深読み過ぎている気もするのが正直なところです。
  • 私たちの身のまわりにはいろいろなジェンダーがあるなと思った。気づいていなかったけど、ニュースや新聞、いろんなところで表現されているんだなと思った。気づきにくいところもあるかもしれないけど、注目して生活の中で発見できたらよいなと思った!!!
  • 性差別はなくす必要があると思うけど、なぜ区別にこだわるのですか。
  • 「氏」と「さん」は、「君」と「ちゃん」のようなもので、一般的な考え方だと思っていたし、差別にはならないと思っていた。人間は男と女の差をどれほどなくそうにも実際体の仕組みも違うからなかなか細かいところを見ていくと、すごく「差別」ととれる表現もあるのかと思った。自分は男だからそう言えるのかもしれないが、男女の違いが差別かそうではないかはまさに紙一重ではないかと思った。本当に差別なのか、それともただ差別と決めつけてオーバーに反応しているのか、男、女、また中立の立場から冷静に考える必要がある思う。
  • ふだんあまり意識していない部分にも、男女の差が多く見られることに気づいた。人=男、氏=男、、無意識のうちに私たち自身も男女を分けることが当たり前になっている。現代、ジェンダーが叫ばれるようになったが、それでもやはり社会では男女差別が根強く残っているように感じる。しかし。やはり男女は生まれながらにして違うもの。男女それぞれにしかできないこともあるし、全ての差をいちがいに「差別」と分類することは間違いだと思う。それぞれの「役割」もしくはあたえられた「氏名」と「差別」の差をしっかり理解したい。

区別と差別、その差はどのような属性、立場から見るかによっても異なります。「男=氏」「女=さん」の区別を女性を下位とみなす性差別ととらえるか、女性を下位にみていない単なる区別にすぎないとみるかは、目下新聞社によっても見方が分かれています。1990年代半ばまでは全新聞社が「単なる区別」とみなしていましたが、現在は、「毎日新聞」と「朝日新聞」が「さん」に統一しています。差別と受けとめる見方が増えたために、それを避けたと思われます。このようにどれが「差別」でどれが「区別」にすぎないか、はわれわれが決めることです。ちなみに私は、この区別は女性を下位にみなす「差別」だと考えていますが、ここでのみなさんのコメントのようにいろいろな見方を出し合って議論して決めていくのがいいと思っています。新聞社も世論をみながら方針を変更していると思います。まずは実態を知り議論することです(斉藤)。

これはおそらく国会内での呼称でしょう。国会内では「くん」で統一されていたのに、「さん」で統一して呼んだのは、衆議院議長在任時の土井たか子氏でした(斉藤)。

  • 英語のmanには男性という意味が含まれていることは知っていたけど、「人」にも男性の意味が含まれているんだなと思った。
  • 「人」といえば何となく「男」だし、特に「性犯罪」と言えば絶対に男だと信じ込んでいる。これが私自身のジェンダー意識なのである。私は男と女をあまり区別していないと思っていたが、やっぱり自分にもジェンダーがあったのだなあ。
  • いままで気にもしなかったけど、夫婦を表す時にはじめ、だんなの名字、なまえフルネーム+妻の名前となっている。けど、曽我さんたちの場合は、妻のひとみさん+夫のジェンキンスさんと、夫の方が後書きになっている。しかも、名字だったなんて知らなかった。名前の表記のしかたにまでジェンダーが関わっていたなんて知らなかったし、気づきもしなかった。
  • 年賀状を書いていて思いますが、なぜ男性の姓名を先に書き、女性はその隣に名前だけを書くのでしょうか。少し気になりました。傷害事件や殺人事件を記事にする場合、「女」という文字が強調されているように感じます。特に被害者が女性である場合、女性、女児、女子生徒、少女、主婦、女性会社員など、女性を強調させる言葉が実に多いことに気づきます。
  • なんで小泉さんが女の人ばかり起用するのかがわからなかったが、今日分かった気がする。
  • 選挙には興味がなかったけど、自民党が圧勝したことくらいはわかっていたが、こんな作戦(セレブ女性を「刺客」に使って有権者の関心を引く)があったなんて知らなかった。
  • 先生に言われるまで新聞のさまざまな記事におけるジェンダー表現などにまったく気づかなかった。私たちのジェンダー的な考えは、自分でもわからないほど深く根付いているんだなあと思いました。そう考えると、ジェンダーの問題は日常生活のいたるところに存在しているんだと気づきました。授業は身近なものを題材にしていて楽しい授業でした。
  • 最初に女性の声は高く、その声が威圧感をもたらさないという話をきいて、実に納得しました。さらに、それにちなんで、接客は高い声というのを聞いて、自分がバイトの時に無意識に声が高くなってしまっていた理湯がようやく分かりました。また、新聞記事にこれほどの表現が含まれていることを初めて気づき大変驚きました。
  • 授業もそうですが、紹介されてたコメントで気になったものがあります。例えば、メディアや社会などは考えが違った場合、それなりに対応を考えられますが、「声の高さ」や姿、形など、変えようのない違いにはどう対応すればいいんですか?こういうことに関係するジェンダーもあると思うんですが。
  • 今日の内容よりもブログにあった意見のことが気になったんだけど、男の声のほうが確かに女の人よりも低くまわりをまとめるには適しているかもしれません。でも女の人も声ではなく知識を使って人の上に立つことはできるのではないかと思う。それを声のせいにするのは逃げているだけなのではないかと思った。

確かに、男性の咽頭が大きく、咽頭に内蔵される声帯も長いために周波数が低くなる。女性の声帯は短く早く振動するのでピッチが高くなるそうです。声の高さはそう変えられないかもしれませんが、「高い声」「低い声」をどう意味付けるかは私たちにかかっているのではないでしょうか。低い声でないとリーダーに向かないということはないと思います。コメントにもあるように、「低い声の方が落ち着いており、指導者の声として妥当」というわたしたちの価値観は現在の社会で実際に男性がそうした地位に多くついているから、女性の声を劣位と受けとめているだけかもしれません。別の文化では、女性がリーダーになっている文化では、女性の声を優位とみなす可能性があります。この点については追って参考になるサイトがないかみてみたいと思います。ご意見などありましたらよろしくお願いします(斉藤)。